命を救う医師の務め。 インタビュー 会長/小島 甫
目の前にある救える命を諦めない
私は幼稚園の頃、急性胃腸炎になり生死の境を彷徨いました。
とてもとても苦しかったことは覚えています。
当時は終戦直後という全てが不足している中、高価な薬品は一般に出回っておりませんでした。
しかし、親が医者ということもあり運よく抗生物質を手に入れ、生き長らえることが出来ました。
偶然医者の家庭に生まれたから助かったのです。
そのことを親から聞き、あの苦しさから助けることが出来る医師に憧れを抱くようになり「命を救う医師」になるのが将来の夢となりました。
慶応大学医学部卒業後は総合病院で勤めておりましたが、親から「としま昭和病院へ戻ってこい」と言われ、正直まだまだ勉強したいと二の足を踏んでいました。
ですが、当時2つの病院を経営していたうちの1つを手放し、としま昭和病院も手放すという話が持ち上がり、「さすがにそれは」と、としま昭和病院に専念する覚悟を決めて戻ってきました。
それから40年、休む暇なくこの地で診療を続けて参りました。
当時は医師が少なく、病棟を診て周り、外来をし、救急を受け入れていると1日が終わってしまいます。
大学病院へ紹介する際も「何だか分からないが診てくれ」では相手も困ってしまいます。
何より手遅れになってしまっては意味がありません。
ここで最低限の診断と措置を行い、適切な専門機関へ橋渡しするのが地域に根付いた病院としての役割だと思っております。
医療の動きは激しく、行政に引きずられ思うように動けないこともありますが、馴染みのある患者さんが笑顔で診察室へ入ってくると嬉しくなり責任感が湧いてきます。
今後も体が動く限り、自分の務めを果たしていけたら幸いです。