安心感を与えて笑顔の日々へ。 インタビュー 医師/中田 裕海
偶然の素敵な出会いに感謝して
私の父は軍医でした。
小さい頃に満州でロシア軍に捕まった経験や餓死を目の当たりにする体験を聞き、目の前の人と明日会えなくなるかもしれない恐さを教えられました。
医師を目指すきっかけは、中学時代に将来の夢を聞かれ、そのときのクラスはとても仲が良く、みんなとずっと一緒にいたいと「死なない薬を作ります!」というのが始まりです。
進学する際に薬学か医学か迷いましたが、父の影響もあり医学の道を歩むことにしました。
大学では神経内科に興味を持ちました。
神経内科は当時不明な部分が多く、治りにくく難しいといわれていた分野でした。
しかし、神経はどの組織にも通っており、この分野に貢献することで人々の命と健康の役に立ちたいと思ったのです。
大学病院時代は内科、精神科、脳外科などほぼ全ての診療科目を経験し、脳や神経に関する研究に力を注ぎました。
特にとしま昭和病院へ来る前はオーストラリアの病院へ行き、2年間で400人の脳を解剖しました。
当時驚いたのは、現地人の脳が日本人と比べ平均で200g少なく、オーストラリア人の脳の血管は日本人より20歳以上老化しており、それに比例するようにオーストラリアでは認知症の患者が多い傾向にありました。
詳細は省きますが、体の健康だけでなく、脳の神経や血管の若さを保つことが健康寿命を延ばすのにとても重要なのです。
私が平成元年にとしま昭和病院へ来て32年になります。
下町風情のある地域、家族のように接してくださる人々、チームワークが抜群の病院スタッフ、一人一人が素敵な出会いであり感謝の連続でした。
これからも診察に来た方が笑顔でこの部屋を出ていけるよう、心と体の健康向上に貢献できればと思います。